恵生院

寺院のご案内

恵生院

恵生院

寺院名
恵生院 (えしょういん)
住職
堀 昌道
住所
〒329-4307
栃木県下都賀郡岩舟町静622
電話番号
0282-55-2154
FAX
0282-55-8009

永代供養

恵生院

永代供養とは、ご遺族や子孫に代わり寺院などがご遺骨を管理・供養することを言います。近年では、お墓の管理継承者がいない、お墓参りにいけないといった理由から永代供養を選択される人も増えています。

当寺院でも受付しております。
詳細については永代供養墓規約(PDFファイル)をご参照ください。

地図

ご供養について

歴史

岩舟町は、古く万葉集歌に「下毛野みかもの山の小樽のすまぐはし児ろは誰が笥か持たむ」と詠まれた三毳山があって悠々たる自然に恵まれている。
また、小野寺地先には日本史に登場する慈覚大師の寺として有名な大慈寺、これに隣接して村桧神社があり、近くには岩舟山に高勝寺。『蓮花川』の名のとおり法縁に満たされた土地柄。
伝承によると起源は遠く奈良時代末にさかのぼる。天平宝字四年(七六〇年)勝道上人の草創になるもので、上人の遠裔である下毛国の始祖・豊城入彦命の菩提を弔うため緑風さわやかな地に一宇を建設しようと関東諸国を遍歴するうちに遂にこの景勝の地を見いだし、堂宇を建てて、その名を皇王山と称したとも言われている。
降って応仁年間(一四六七-一四六九年)に至るまでの約七百年間、残念ながら数々の戦乱、祝融の災に遭って古記録などは滅失して、その寺跡を知る術はない。文明元年(一四六九年)に至って大僧都宥秀上人は寺院の再興を発念、苦心さんたんの末、遂に堂宇を完成させてことから後世、中興の開山としてあがめられている。
やがて徳川政権(江戸時代一六四三年~)になると時の住職盛範和尚は足利の鑁阿寺に住んで政府から朱印地をたまわるなど以来明治維新に至るまで代々両寺住職を兼務したといわれる。恵生院の地紋『丸に二の字』と朱色の大門も往時の鑁阿寺とのかかわりを示している。
現在の大門、鐘楼堂は精矩上人の改築によるもので、本堂は明治二十年に罹災して烏有に帰したが同三十一年に再建」。いま真言宗豊山派、皇王山宝蔵寺恵生院の格位が保たれている。
下野新聞とちぎ寺社巡りより引用

ご供養について

供養とは

恵生院

物を供えると書いて供物と読みます。供養は養を供えると書きます。それでは何を養うのでしょうか。それは私たちのこころを養うのです。
いつもイライラしていませんか…?
ウソをついていませんか…?
欲張りではありませんか…?
悪口ばかり言っていませんか…?
仏さま、亡き精霊を供養することで生きている私たちの心に徳が育ちます。
一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌…。
そして仏さまにあなたの養った心を供えることによって、
ご先祖様も私たちも徳が高められていくのです。

追善供養の営み

恵生院

故人と縁のある人々が一堂に会して、ありし日を偲び、仏道に精進することを心にお誓いしてご法事をいとなむこと。
また、み仏の正しい教えを世の中に広めるために、お寺を立派にし、行事に参加する。
そして写経をしたり、お経を聴いたり、お塔婆を建てるなどの福徳を積むことが、追善供養のいとなみです。
亡き人のご恩に報い、感謝の心を持つことが大切です。

おつとめのすすめ

恵生院

『おつとめ』とはお仏壇に向かってお経をあげることです。心静かにお経を唱えることで、ご先祖様の供養になるとともに、自分自身の心も穏やかになっていきます。

苦悩を除き福を招く

日々おつとめをすることで、仏さまを感じ、謙虚な心が養われます。そうして得た心は、苦悩を遠ざけ福徳を招きます。

自分自身の修行

おつとめのたびに、仏さまやご先祖様の前で日常生活を振り返ることができます。仏さまの教えを心にとどめ、人間としての向上心を保つことにつながります。

ご先祖様への感謝

ご先祖様のおかげで、現在の自分がいることに感謝し、祈りという形で表わしましょう。見守られて生きているという安心を得ることができます。